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NPO法人三河三座は、地域に残る伝統芸能の普及継承を通じた「まちづくり」を目指しています。

お問い合わせはTEL.0532-32-3111

〒441-8666 愛知県豊橋市新栄町鳥畷62

丸山薫講座

豊橋の詩人 丸山薫講座について

三河三座は七年前に結成されたNPOで三河地方の伝統芸能の保存などを考えながら「まちづくり」を行っています。代表的な活動は「吉田城薪能」で、毎年500〜1000人程の市民に楽しんで頂いています。
「伝統芸能の普及」と活動目標を掲げていますが、御承知のように古典の難解さが普及の足かせとなっています。
なるべく皆さんが古典に親しみやすくなるよう、例えばお能の場合ですが、過去には吉田城薪能で宮沢賢治の童話を現代能として能楽師の中所宣夫氏に披露して頂きました。
このような中、中所先生は丸山薫の詩を能楽にしてみたいと言われ、我々もこの構想に大きな期待を抱くことになりました。
丸山薫は豊橋の詩人と言っても過言ではないでしょうが、全国的な知名度に比べ、豊橋市民にはまだ、十分知られていない詩人ではないでしょうか。
そこで、豊橋市民の方々に丸山薫をよく知っていただくための講座を開催する事にいたしました。この講座も講師の先生からのお話を受講するだけでなく、参加者との交流の中から丸山薫の魅力を作り上げていくものにしようと思います。

丸山薫とは

1899年6月8日 - 1974年10月21日 大分市生。
第三高等学校卒。三高時代から、桑原武夫、三好達治、梶井基次郎らと親交。後、東京帝国大学(現・東京大学)文学部国文科に入学。第九次「新思潮」同人。
1928年(昭和3年)大学中退、詩の活動に専念。船員を志望し、船や海、異国にまつわる詩が特徴。
1933年(昭和8年)に堀辰雄らと「四季」を創刊。翌年「幼年」で文芸汎論詩集賞受賞。
1944年(昭和20年)から1948年(昭和24年)までは山形県の岩根沢に疎開。岩根沢国民学校の代用教員となる。(岩根沢には現在丸山薫記念館がある)
1948年に身内のいた愛知県豊橋市東雲町に移り、のち東田町東前山へ移る。愛知大学客員教授などを勤める。
1954年(昭和29年)豊橋文化賞。

講師の紹介

大伊和雄(おおいかずお)

昭和12年生まれ、浜松市出身、豊橋市在住。元豊橋市図書館協議会委員、窓の会会員、宮澤賢治研究者、丸山薫書誌コレクター。
宮澤賢治関連________________________________________________________________________
講師:宮澤賢治読書会(豊橋市中央図書館)、宮澤賢治を訪ねる会(豊橋市南陽地区市民館)、賢治の部屋(豊川市中央図書館)
著作:宮澤賢治の修学旅行歌、北上川イギリス海岸の高師小僧他4篇(東愛知新聞連載)、ザシキワラシとエスペラント語、花巻の「ベートーヴェン百年祭レコードコンサート」他10篇(窓の会会報)
丸山薫関連__________________________________________________________________________
展示:丸山薫初出誌(丸山薫生誕百年記念展)
著作:丸山薫ノート(東三地方史研究)、丸山薫の詩業と風土、丸山薫の愛知大学、點鐘鳴りやまず、薫詩碑燦然たり他3篇(東愛知新聞連載)
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その他の著作:
東三河文人風説、東三河文芸風土記(豊橋文化連載)、豊橋百科事典(文化、人物の項)、書評(東愛知新聞、東日新聞)

 

 

第1回

丸山薫の魅力 

2013年8月3日(土)

 

 

 

 

 

 

 


 

第2回

丸山薫 豊橋への回帰

2013年10月4日(金)

丸山薫1911年豊橋市立八町小学校に転校し、翌年に愛知県立第四中学校(現・時習館高等学校)に入学、少年期を豊橋で過ごし卒業と同時に上京。東京で「四季」の中心的な詩人として活動します。

 

 

 


第3回

丸山薫 その幼年時代

2013年12月13日(金)

丸山薫は韓国京城で居留民団立尋常小学校に入学以後、小学校を5回変わっています。丸山は「エトランゼの記」(昭29)に自分のことを「生まれながら運命の鋏によって地面につながる糸をチョン切られた風船玉」と書いています。とりわけ、韓国で過ごした4年間の幼年期は彼の代表作「病める庭園」「朝鮮」等に多くの影響を与えました。

 


第4回

丸山薫と山形県岩根沢

2014年2月1日

第4回は、丸山記念館のある疎開先の山形でのお話です。丸山薫は昭和20年終戦前(4月)に山形県西村山郡西川村岩根沢に疎開し、岩根沢国民学校の代用教員になります。

この写真(茅葺の家)の二階に妻と母の三人で住み、終戦後の昭和22年代用教員を辞し、岩根沢で1年数か月の間、詩作に専念し多くの作品を残します。また、教え子や地域の人々に様々な影響を与え、それが丸山薫記念館の設立につながります。

 


 

第5回

丸山薫と海

2014年4月12日

丸山薫は、「海の詩人」と言われました。丸山は明治4513歳で入学した愛知県立第四中学校(現・時習館高)時代、「ロビンソンクルーソー漂流記」「南極探検記」「海のロマンス」等を読み、海に憧れ将来船乗りになろうとします。

大正7年、母や親戚の反対を押し切って一浪の後、東京高等商船学校に入学し、海王丸という練習船に乗りますが、不本意な除名放校となります。夢を果せず傷心を抱えながらも第三高等学校、東京帝大に進み詩作を続け、昭和7年に第一詩集「帆・ランプ・鶴」を出すなど海への憧れは消えることはありませんでした。

昭和306月、愛知大学教授になっていた丸山薫が「もう一度、船に乗りたい」とのつぶやきを聞いた海事新聞の友人記者が、オーストラリア行の定期航路の臨時船員となって乗船する機会を作ってくれます。それが、山下汽船の貨物船[山下丸」で丸山は二か月間南太平洋諸島をめぐる乗船の機会を得、多くの詩やエッセイとスケッチを残しています。

今回も大伊和雄先生の豊富な話題で丸山薫の詩を考えていきたいと思います。


 

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